【編集長コラム】大会増・著作権問題・カルチャーの扱い〜求められるダンス部の新しいバランス
2024.09.08 COLUMN
(『ダンスク!』2024年8月号記事より転載)
公立中ダンス部でヒップホップ禁止!
なぜ?どんなヒップホップで?
今年6月に千代田区の公立中学のダンス部に、「ヒップホップ禁止令」が校長から出されたという。体育祭でのヒップホップダンス発表の禁止と、部活動でもヒップホップから創作ダンスへの変更という指導が入り、生徒と保護者が涙ながらの抗議を行なった。
報道されているのは以上であるが、「ヒップホップ禁止」というインパクトは、かつての風営法改正「ダンス禁止」のニュース以来。ダンスカルチャーの一般化やプロリーグ化、ダンス部の盛り上がり、オリンピックでのブレイキン競技化を前にして、ダンス界にとっては水を刺されるようなニュースだ。
もっと報道のディティールを知りたいところだ。どんなヒップホップがどんな理由で禁止されたのか? その原因は歌詞なのか、曲なのか、ダンスなのか、ファッションなのか。一概にヒップホップと言っても、音楽スタイルもダンスも多種多様だ。今やJ-POPやSNS流行曲でもラップやビート感の中にヒップホップテイストは当たり前になっているし、ヒップホップダンスもそのスタイルが多岐に渡っているのはご存知の通り。
2012年の公立中学校ダンス必修化の際に、ヒップホップやダンスが教育に入っていくことは歓迎されると同時に、「取り扱い注意」である点は、私自身も各メディアで伝えてきた。特に歌詞とボディアクション。ここでは詳細は省くが、誤解されるようなことがないように正しい知識を持ちましょう、ということだ。高校ダンス部の大会も、その流れによって使用楽曲については健全な流れが続いてきている。
果たして、麹町中のそれはどんなヒップホップだったのか? 正しい知識・見識によってなされた禁止令だったのか? いずれにせよ、まだまだヒップホップやダンスが、ものによっては世の中(体制側)に歓迎されているわけではない、ということを思い知らされたニュースだった。教育としてのダンス、競技としてのダンス、されどカルチャーとしてのダンス。オリンピックを機に、再びそのバランスを議論しても良いタイミングなのかもしれない。
新たな音楽著作権問題
今号の特集にあるように、ダンス部大会にも「楽曲取り扱い」の変化が訪れている。各大会が、マスメディアとの関係性が強くなり、放送上の諸事情により楽曲の規制が厳しくなったようだ。JASRAC登録曲であることは当然のこと、大会によっては編曲(ミックス)についても規制が入っている。
そもそもダンスカルチャーでは、曲をリミックスすること(音やビート重ねる、テンポを変える)や、ミックスする(曲をつなぐ)ことは定番の演出方法の一つでもある。その昔は、人気の曲をダンサーがダンスでどう見せ、DJがどうミックスし、ラッパーがどう歌詞を乗せ、ライターがどういうグラフィティを描くか、という4エレメンツ(要素)がヒップホップであった。
もちろんダンス部大会をヒップホップ中心には考えられないが、元々は音楽家を守るためにあった音楽著作権法。文化の発展や若者の創造性を育てるために、ダンスカルチャーとのバランスの取り方を再考する動きがあってほしい。
ダンス部員の将来こそが教育的意義
特集内では、現場の顧問の先生方から、大会についての忌憚ない意見が飛び交っている。個人的にも、各ダンス部大会が本当に教育的意義を捉えて大会を運営しているかを強く問いたい。ダンス部の大会はダンスイベントではない。
言葉だけの綺麗ごとではなく、その意義を中心において、大会の形が作られているか?
学生たちがその大会出場を経験して、努力に見合う学びや人間的成長を果たしているか?
現場の先生方から賛同を受ける大会なのか?
そうならば、その意義を審査員や関係者にきちんと説明しているのか?
スポンサーには理解してもらった上で協賛を募っているのか?
ダンス部にはインターハイがない。競技性が認められにくかった歴史的経緯のためだが、今や女子で1・2を争う人気部活となり、大会にも各企業が参入し、いわばレッドオーシャンの状況と言える。生徒たちはたくさんの大会に出たい一心だが、現場の先生方の一部はその調整や監督に悲鳴をあげている。
>>参考記事:ダンス部大会を考える。
各大会の違いは、規模や認知度、審査員、審査基準、スケジュール、協賛社、メディア露出などなど、調べればすぐにわかるだろう。しかし、教育的意義を強くアナウンスしている大会は見当たらず、実際その違いもわからない。仮に教育的意義が同じならば、ワンシーズンにいくつも大会がある必要がないし、違うならばその違いに基づいて大会の特徴が形作られるべきである。国や政党にも、まずはイデオロギー(思想)があって、他との線引きをして、運営がなされている。その独立性から得られるメリットは、まず国民や支持者が受けるべきであり、ダンス部大会の場合は学生が一番に受けるべきだ。
ダンス部は大会に忙殺されかけている。今はそれぐらいの乱立状況だ。
どの競技も、大会出場で得られることは確かに大きいが、ダンス部の場合はそれ以外にたくさんの活動の可能性があるのだ。自主公演やイベント出演、交流やメディア露出、動画作りやSNS活動などなど。どれも大会と同様の経験や思い出が得られるし、社会でも即戦力のクリエイティブな学びがある。それらの時間が大会に奪われている、とも言えるのだ。
詰まるところ、ダンス部員が部活の経験を通じてどんな社会人になり、どんな将来や日本の未来を描いてくれるのか? それこそがダンス部の教育的意義であり、大会もそれに準じて存在・差別化すべきであり、大人たちは当然、若者たちの成長に手を貸して(あるいはバトンタッチして)あげるべきなのだ。
日本の新しい未来は、その創造と発信は、ダンス部であるキミたちにかかっています。私はそれぐらいの期待と信念をもって『ダンスク!』を続けています。そしていつの時代か、いま学校で踊っているキミたちにこそ、新しいダンス部の世界を作ってほしいです!
レポート:石原ヒサヨシ(ダンスク!)