【追悼】坂見誠二さんが「ダンスの神様」と呼ばれた本当の理由

2023.06.17 DANCE

「ダンスの神様」と呼ばれた坂見誠二さんが先日お亡くなりになりました。

享年65歳、お子さんも生まれたばかりで、今年2月には熊本にダンススタジオをオープン、皆から惜しまれる、早すぎる死でした。

日本最強のストリートダンスクルー「Be Bop Crew」のメンバーであり、ブレイキン〜ロッキン〜ポッピンなどのストリートダンスを日本に紹介、メディアへの出演やアーティストの振り付け、国内外のダンサーとのコネクションなどなど、アンダーからメジャーまでストリートダンスの認知向上にこれほどまで貢献した人物はいないと思います。

例えば、いま皆さんが練習でやっている、リズムトレーニングの「アップ&ダウン」などの練習方法も、誠二さんとその仲間が、黒人のダンスのノリをわかりやすく分解・構築して考案したものなのです。

そう、誠二さんがいなかったら、ストリートダンスの発展は現在の形のようではなかった。それはハッキリと断言できます。

『ダンスク!』編集長である私も、かつての雑誌『ダンス・スタイル』編集長時代から、誠二さんにはお世話になりっぱなしでした。
今月初めの闘病支援のお知らせから、突然の訃報で今だに呆然としていますが、使命感をもってこの記事を書こうと思っています。

個人的な交友も含めて、坂見誠二さんがなぜ「ダンスの神様」と呼ばれるようになったか? その理由を振り返ってみようかと思います。

 

ダンスの生き証人

 

誠二さんのチーム「Be Bop Crew」が結成されたのは1982年なので、新しい黒人音楽文化が日本に入ってきた頃と重なります。
その頃のストリートダンスの輸入現場は、ディスコでした。
ディスコに遊びに来ていた米兵の黒人がさりげなく踊っているソウルステップを真似したり、盗み見たり、まさに見様見真似で、誠二さんたちは当時ダンスを覚えていったそうです。
当然、ダンスを教えてくれるスタジオも映像も何もない時代、ダンスは「本物」から「生」で覚えていくものでした。

そして当時のディスコは、人との交流の喜びと笑顔と音楽に包まれた空間でした。
みんな根っからの遊び好き。騒ぐのが好きならパーティーを作り、レコードマニアはDJになり、しゃべれる奴はMCになり、体を動かしたい奴はみんなで踊る。
そこで、誠二さんたちはダンスで目立ち、技術を磨き、拍手を集め、気づいたらダンサーと呼ばれる存在になっていました。

誠二さんから直接聞いた、その頃の面白い小話を紹介しましょう。

 

とあるディスコで、ある黒人が見たこともないようなダンスを踊っていました。
ダンス好きの日本人が尋ねます。
「それカッコいいね! なんていうダンス?」
「ん? コレ? コレはPOP&LOCK!だぜ!」
「ぱ、ぱっペんろっく? へー、教えて教えて!」
と、そのスタイルを見様見真似で覚えた日本人ダンサーは数年後、また別のディスコで、別の黒人に会いました。

その頃には日本人の「POP&LOCK」はちょっと独自の形に発展していました。
「お前のダンス珍しいな、何ていうダンスだい?」と黒人は尋ねます。
「ん? コレ? コレは“パブロック”だぜ!」
「へー、知らないなぁ、そんなダンス…」

「POP&LOCK」が「パブロック」に…。
聞き間違えが、新しいダンススタイルに??

 

まだ日本に数えるほどしかストリートダンサーがいない、ノンビリしたイイ時代の小話ですが、そんなリアルな話を聞けることがもう失われてしまったのです。

 

尽きせぬ情熱と探究心

 

取材でも楽屋でも、誠二さんが話し出すと止まりません。
誠二さんが中心にいると、どこでも笑いと幸せの輪が出来上がりますが、その中にはダンスへの豊富な知識と愛情がたっぷりと詰め込まれています。

15年前当時、音楽畑からダンス畑にやってきた私に気遣ってか、よく音楽の歴史に沿わせてダンスの歴史を解説してくれました。というか、根っからの音楽好きで、話好き、お酒好き、ファッション好き、その上でのダンスへの尽きせぬ情熱と探究心なんですね。

いつの時代も、音楽の発展とともにダンスがあった。
あの曲にこのダンス、このステップ。
あのアーティストにあの映像、あの時代にあの映画、あのファッションにあの時代。

音楽に時代背景があり、アーティストのメッセージがあり、ファッションがあり、そしてダンスがある。

その深くて面白いつながりを、誠二さんは近い現場で、生の声で拾ってきました。
時に海外に飛び、時に日本のストリートを歩き。

1980年代のストリートダンスの歴史と言っても、音楽史ほど資料や文献が残っているわけではないので、どことなくあやふやだそうです。
言う人が違えば、また歴史も違う。まさにストリートカルチャーですから、広いアメリカで、西と東、北と南で、当時は別の国の出来事のようなものでもありました。

南で始まった黒人文化が、西で広まり、東でメジャーになる。
ニューオリンズに上陸したアフリカ音楽が、ロサンゼルスでソウルやファンクになり、ニューヨークでヒップホップになる。
極端にいうと、ストリートダンスや音楽にはそんな流れや時系列があるわけなのですが、誠二さんは実際に見聞きしたトピックを、ジョークを交えて、お酒片手にたくさんしてくれました。

「いつかその話、本にしましょう!」
という、その時の私の約束が果たせなかったのが悔やまれます。

ストリートダンスの生き字引・生き証人が亡くなられたことで、我々が失った歴史は大きい。
それは間違いないと思います。

そういえば、誠二さんは『アメリカ文化と黒人音楽』という本を愛読していたそうです。
今は絶版となっているようですが、みなさんが好きなヒップホップの源流にある知識(knowledge)です。機会があればぜひ手に取ってみてください。

 

たかがダンス

されどダンス

 

たかがダンス、されどダンス。

誠二さんと話していると、そんな言葉が思い浮かびます。

かつてThe Rolling Stonesが
「I know it’s only Rock’n’Roll but I like it!!」
(たかがロックンロールなのは知ってる。だけどコレが好きなんだ)
と歌いましたが、まさにそのダンス版ですね。

「たかが」と言っても、決してダンスをバカにしているわけじゃなく、誠二さんは「たかが」の扱いをたくさん受けてきた時代のダンサーだからなのです。

「仕事くれるならどこでも踊ったよ。道端でも、スーパーの客寄せでも、デパートの屋上でも踊った。隣で野菜売ってたから、踊りながら野菜を売る手伝いしたりね(笑)」

「今の人(ダンサー)が、やれココじゃ踊れないとか、照明がぁ、音響がぁ、とかいろいろ言うじゃない? 俺らの頃は踊らせてもらうだけで有り難いの。ダンサーの扱いなんて、あってないようなものだよね(笑)」

筆者は『スーパーチャンプル』や『DANCE@TV』という番組で、誠二さんとよく審査員をご一緒させていただきました。
ある時、待ち合わせのバスで、今や有名になった若手ダンサーが遅刻してくると、誠二さんは
「イイ仕事するようになったね〜」
と、笑顔と皮肉でその若手をたしなめていました。

誠二さんは知っているのだ。ダンサーが「たかが」だった時代を。
今では現場で「ダンサーさん、どうぞ」と呼ばれ、恵まれていることを勘違いしてはいけない。その地位は先達がコツコツと作ってきたのだ。
ちょっとした勘違いが身を滅ぼす。そうやって消えていったダンサーを誠二さんはたくさん知っているのだろう。

だからこそ、笑顔で気づかせようとしていた。
本気と愛で、後進を育てようとしていた。

そして、長い間ダンスの魅力と可能性を広めようとしていた。
ダンスはたかが遊びの延長かもしれない。
されど、こんなに素晴らしい、人生を豊かにしてくれる遊びはないだろう。

たかがのダンスを、されどのダンスとして世に伝えようとしていた。

笑顔と汗とたくさんの愛で、最後まで踊りながら人生をかけぬけていった。

 

なぜ「神様」なのか?

 

私が評するのも恐縮ですが、誠二さんはダンサーとしてだけでなく、人として一流でした。

成功しているダンサーはみなさんわかってますが、ダンスの技術だけ磨いても仕事は来ないのです。
人付き合い、礼儀と誠実さ、義理と人情、羞恥心と節度、そして素直な心。
そのへんが磨かれていないと、ある地点で苦労します。社会や人と衝突します。
悪い評判がまわって、気づけばはじかれています。

そのことを、ダンスの開拓者である誠二さんは身をもって体感していたのだと思います。

どの世界でも、特にユースカルチャーであるダンス界では、ベテランや大御所は振る舞いを間違えると、だんだんと煙たい存在になってきたりもします。
そしてシーンの中心から徐々にはずれていったりもします。

しかし、誠二さんは違いました。
一緒に楽屋にいるだけで、「セイジさん!」と次々に若手が挨拶に来て、気さくに会話が広がります。
尊敬と感謝だけでなく、誰にも友達のような親しみやすさを感じさせるヒトなのです。

私は、誠二さんの悪口や陰口を言う人を知りません。

なぜなら、
誠二さんを否定することは、自分たちが生きている世界を否定するのと同じだからです。

だから、坂見誠二さんは神様と呼ばれるのです。

 

最後にお会いしたのは、数年前のチームダンス選手権の決勝だったかと思います。
がん手術の直後でしたが、渾身のジャッジムーブで会場を沸かせていました。

踊り終わると「キツ〜!」と、楽屋で顔を紅潮させ、玉のような汗をかきながら、冗談めかして自身のダンスを振り返っていました。
その時、病み上がりで還暦を迎えてましたが、まるで少年のような笑顔で楽屋を賑やかします。

「誠二さん、根っからのダンサーなんですねぇ」
私が言うと

「だって、こんなに楽しいもんないでしょ。最高ですよ!」

 

ダンスの神様は、世界で一番ダンスが好きなヒト。

間違いないです。

 

長い間お疲れ様でした。

天国でヨシ坊さんやチェリーさんたちとのセッションを楽しんでください。

 

ありがとうございました。

石原ヒサヨシダンスク!

 

 



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