追悼:坂見誠二〜ダンスの神様が伝えたかったこと#1「ISOPP」

2023.10.28 COLUMN

「ダンスの神様」こと故・坂見誠二氏の功績を追うため、ゆかりのダンサー/関係者たちにインタビューをしていくシリーズ「ダンスの神様が伝えたかったこと」

第1回目は、誠二と同じ福岡出身のブレイクダンサー/エンターテイナーの「ISOPP」だ。

 

インタビュー&テキスト:石原ヒサヨシダンスク!


 

ずっと“坂見誠二”が炸裂していた

 

アンダーグラウンドとオーバーグラウントの間を「ミドルグラウンド」と称し、ブレイクダンスだけでなく、DJやグラフィティ、メッセージやトーク力、果てはモノマネや動画制作など、マルチな才能で時代をかけぬけたダンサーISOPP。
「日本一、学校を訪問したダンサー」として、ダンススタジアムの審査員としても高校生ダンサーにはお馴染みの存在だ。

福岡出身の彼は当然、地元のヒーローであるダンスチーム「Be Bop Crew」、そしてその中心人物の「SEIJI」に憧れた。プロとして活躍するようになってからも、誠二の背中を追い続けたという。

「誠二さん、そしてメンバーのYOSHIBOWさんや長谷川先生は、僕らにとってお父さんお母さんみたいな存在なんです。高校時代から憧れだし、プロになってからもずっと憧れ。亡くなった今でも憧れています。Be Bop Crewのショーを見ると、“うぉ〜!”ってやる気になると同時に、なぜかヘコむんですね(笑)。帰りの電車で“うーん”と考えてしまう。それぐらい偉大な先輩たちでした」

ISOPPは、2009年には「坂見誠二杯ストリートダンスコンテスト」なるイベントに参加。憧れの先輩とステージで共演を果たしている。
その背中を間近で見ながら何を感じていたのだろう?

「僕のモットーは、“完全燃焼”。いついかなる時でも自分のすべてを出すこと。その見本を見せてくれたのが誠二さんです。ダンスがどうこうというよりも、ずっと“坂見誠二”という人間が“炸裂している”感じ。踊っていても、楽屋でしゃべっていても、冗談言っていても、ずーっと“坂見誠二節”が炸裂してる」

メジャーとアンダーを行き来して活躍したISOPPだが、2014年に難病を患い、生死のかかった手術を前に、ヒップホップのルーツ探しの旅としてアメリカへ旅立つ。
ロスからニューヨークへ2ヶ月、各地を回りながらも、手術後はもう以前のように踊れなくなる自分の将来に暗澹としていた。

「ニューヨークでばったり誠二さんに会ったんですよ! いろいろ話をする中で、自分がアメリカに来た理由を聞かれたんです。“自分を探しに来ました”と。そしたら、誠二さんがすごく真剣に“お前のそういうとこがカッコいいんだ。人生はずっと自分探し。いろいろ経験して、お前という人間ができていくんだよ”と言ってくれました。……すごく心に残りました。要は“自分がカッコいいと思うことに責任を持て”ってことなんですよ。アメリカまで来ていろいろ回って、福岡の先輩にガツンと教えられるとは思いませんでしたけど(笑)」

 

自分の心が踊る方を選んでいた

 

60代で亡くなった誠二、現在40代のISOPP、そして今はプロリーグで活躍する20代のダンサーたち。ストリートダンスが徐々に市民権を得て、ダンサーの収入状況も変わってきた。

「結局、後輩たちの方が潤っているんです。誠二さんの世代よりも、僕らの方が注目されていたし、今の若い子らにはスポンサーまでついている。正直“なんで?”と思いますよ。一番先頭でゼロからイチを作ってきた人たちより、なぜ後輩の僕らがいい思いをするの?って。ホント、誠二さんたちの銅像を作りたいって思いますけど、そういうお金とか名声とか、野暮なことも表に出さない人でした。でも実際は、ダンサーとして生きていくことに一番苦しんで悩んでいたと思います。でもそれを出さない粋があって、いつも飄々としている。そこがまたカッコいい! ダンスも生き方も、ずっとカッコ良く、ずっと“自分の心が踊る方“を選んでいた。だから、権利とか決まりごとにも無頓着でした。アップとダウンという概念を作ってダンスを広めたのに、その権利も認知もないですからね」

2015年頃、誠二は癌を患い手術を重ねながら、闘病生活に入る。ISOPPは自らの病気からの生き方を重ねながら誠二の背中を見つめていた。

「誠二さんを見ながらたくさん震えてきました。いわゆる“波動共鳴”ってやつです。最初に誠二さんを見た時の“カッコ良さ”に震えた。そして、お金のことも含むその“こだわり”に震えた。最後は癌になって亡くなるまでの“生き様”に震えました。癌で闘病されてからも、どんどん洗練されていく感じがしたんです。砂時計が最後、細くなって速くなって、でもどんどん美しく洗練されていく感じ。肉体は弱っていくけど、精神は高まっていく。その最期の姿を僕らはじーっと見ていた気がします」

ISOPP自身もダンサーとしてキャリア後半に差し掛かり、難病を境にそれまでの生き方を見つめ直したという。もちろん、その先には坂見誠二の姿があった。

「誠二さんも若い頃は“俺だ!”という感じで、100%自分のために踊っていたんだと思います。でもだんだんその比率が変わってきて、80%ぐらいは自分以外のために生きていたんじゃないかな。ダンスを広めるため、仲間や後輩や若い世代のため。だから、どんな場所に出ていってもバランスを取っていたし、どこからも歓迎されていたし、誰からも好かれていた。後輩の僕が言うのもあれですけど、幸せな人だったと思います。毎日踊ることに喜怒哀楽や発見があって、踊れる場所をどんどん切り開いて、そこに純粋な喜びを感じて、新しいダンスが現れることに興奮して……、ダンサーとしては幸せな時代を生き抜いた人だと思います。ホント、ずっとずっと憧れです」

 

【シリーズ「追悼:坂見誠二」ダンスの神様が伝えたかったこと】

>>#1 ISOPP編:ずっと坂見誠二が炸裂していた
>>#2 PEET & TAKA編:カッコいいままでいっちゃった
>>#3 緒方先生&SHUVAN編:繋いでいくことを大事にしていた
>>#4 SAM(TRF)編:アップ&ダウンを作った影響力は計り知れない
>>#5 KENZO(DA PUMP)編:誠二さんからもらった愛を紡いでいきたい


ISOPP●プロフィール
1977年福岡県生まれ。高校時代にダンスを始め、BRONXやPerfect Combustionなどのチームで活躍。2003年B-BOY PARK優勝、2005年には世界大会で優勝を果たす。ブレイクダンスにヒューマンビートをミックスさせた唯一無二のパフォーマンス、グラフィティ、DJ、執筆、モノマネ、動画制作など、縦横無尽の器用さと持ち前のエンターテイナーぶりで、テレビ、舞台、雑誌、インターネットなどで活躍を続ける。
@isoppmen



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