追悼:坂見誠二〜ダンスの神様が伝えたかったこと〜第4回目「SAM」

2023.12.09 COLUMN

「ダンスの神様」こと故・坂見誠二氏の功績を追うため、ゆかりのダンサー/関係者たちにインタビューをしていくシリーズ「ダンスの神様が伝えたかったこと」

第4回目は、誠二から直接ダンス指導を受け、TRFでメジャーシーンで活躍し続ける「SAM」の登場だ!

インタビュー&テキスト:石原ヒサヨシダンスク!


坂見誠二同様、ダンサーの地位を向上させた人物といえば、SAM 

1990年代、メガヒットグループ「TRF」のメンバーにダンサーとして在籍し、多くのメディアやステージで、ダンサーのカッコ良さを体現してくれた。

それだけでなく、東方神起をはじめとする振り付けやステージ演出、近年ではダンスを使った健康寿命伸長プロジェクト「ダレデモダンス」を主宰する。 

そのキャリアが華々しいメジャーシーンにあるだけに想像できないところもあるが、SAMは実は誠二とは縁が深く、Be Bop Crewの東京支部「東京Be Bop Crew」のメンバーというキャリアも持つ、生粋のストリートダンサーだったのだ。

誠二のサポート基金活動や訃報に際しても自身のSNSでいち早く情報を発信しており、実は筆者もそこで誠二の病状を知った一人である。

 

誠二くんの教え方はとにかくわかりやすい

 

医者の家系に生まれながらも高校生でダンスに目覚めたSAMは、卒業後に家出同然で上京し、1982年頃からいくつかのダンスグループで活動。全国のディスコをツアーで回っている頃に、ある映像を観たという。

「俺が若い頃はまだダンスの情報が全然なくて、九州にすごいダンサーがいるっていう噂は聞いていたんだ。画質の悪い映像だったこともあって、外人かと思うぐらいカッコ良くて。それがBe Bop CrewのYOSHI-BOWさんであり、誠二くんだった」

1984年頃にはSAMBe Bop Crewのメンバーと対面し、「東京Be Bop Crew」結成の許諾を得て、彼らの正統派スタイルを継承した。

「当時は東京にはロックダンスがなくて、俺も初めてYOSHI-BOWさんや誠二くんに教わった。それまでリズムとかグルーヴもわからずに見様見真似で踊っていたから、その教え方の細かさやアップ&ダウンとかの概念があることに驚いたね。特にブレイクダウンとかよく練習したなぁ。誠二くんの教え方はとにかく丁寧でわかりやすいんだよね。よく研究して、分析して、正確に伝える。ロックダンスをちゃんと習ったという意味では誠二くんが一番かもしれない」

当時のBe Bop Crewのステージ映像では、ロックダンスをクリアに踊ったり、ロボットダンスを飄々と踊る誠二の姿が印象的だ。

「誠二くんはわりと事前にやることを決めて踊るタイプ。だから出来にムラがない。逆にYOSHI-BOWさんは何が来るかわからないタイプだったね」

 

TRFの活動を心から応援してくれた

 

1989年頃には、メンバー間の不和もあり東京Be Bop Crewは解散。Be Bop Crewのメンバーとも多少の軋轢があったそうだが、SAMと誠二の親交は続いていたという。

「誠二くんは人格的にいつも安定していて、何があっても変わらず付き合ってくれる人だった。人間関係でギクシャクするようなイメージはなかったね。TRFではメジャーで活動していたから、“あいつはメジャーに魂を売った”とか、いろいろ言ってくるダンサーもいたけど、誠二くんはいつも“イイね〜。がんばってね!”って心から応援してくれた。そういえば、Be Bop Crewのステージにもいたりいなかったりで、自分の感覚で動く自由な人だったな」

活動当初はTRFの曲への対応に苦労しつつも、メジャーシーンでストリートダンサーらしさをアピールしてきたSAM1998年のTRFのセルフプロデュース曲「slug and soul」では誠二に振り付けを依頼し、そこではBe Bop Crewスタイルを思い起こさせる正統派のロックダンスが披露されている。

「誠二くんは常に、ハウスとか新しいジャンルも取り入れる人だったけど、信念としてオリジネイターと直接会って学んでくるっていう姿勢があった。そして、若者を認めて受け入れる姿勢や度量も素晴らしかった。どこでも人当たりが良くて、懐が深くて、面倒見がいい人だね」

上の世代と下の世代をつなぐ、誠二の世代のダンスは、ディスコやクラブなどの「遊びの場」から生まれてきた。だからこそ、今とは違う「匂い」や「色気」がある。

「最後に会ったのはDリーグのジャッジの時かな。その前に、スタジオの発表会でMr. Wiggles(伝説のストリートダンサー)が来日して、そのステージで一緒に踊ったのが最後の共演だね。派手な動きをしている誠二くんよりもソウルダンスを踊っている誠二くんがカッコいいなって思ったね。ホント、どこでリズム取っているかわかりにくい。あれを継承できれば、もっとリズムの真髄がわかるはずだよね。今それがわかるのは、一番近くにいたBe Bop Crewなどのダンサー達になるのかな」


▲Dリーグ会場にて。ストリートダンスの黎明期を作り上げた2人が、若いダンサーをジャッジとして見守る。

SAMにとって先輩であるダンサーたちが惜しまれつつも次々に鬼籍に入っていく流れの中、還暦を超えたSAMは、ダンスを使った健康寿命伸長の活動に移行していく。
それは、誠二たちの世代が大事にしていたスピリットを、少しでも長く自身が伝えていこうという気持ちの現れでもあるのだろうか。

「昔ながらのダンサーってお酒も遊びも好きだから、決して健康的な生活ではないけど、だからこその魅力があった。でも今のままでは誠二くんやYOSHI-BOWさんの存在を忘れていってしまう。若いダンサーが知らないままになってしまう。追悼イベントをやるとか、もっと語り継ぐとかしたほうがいいよね。彼らは日本のストリートダンスの開拓者だし、彼らが研究して発明したアップ&ダウンなどの教え方は、今では外人ダンサーがレッスンでやるからね。その影響力は計り知れないよ」


SAM●プロフィール
1962年埼玉県生まれ。高校時代にダンスを始め、多くのチームや東京Be Bop Crewなどで活動し、1992年にTRFでメジャーデビュー。ミリオンヒットを重ね、ダンサーとして振り付けやスタジオ経営、アパレルや専門学校のプロデュース、近年では「ダレデモダンス」を主催し、近著に『いつまでも動ける。 年をとることを科学するジェロントロジー』がある。
ダレデモダンス
SAM Instagram

 

【シリーズ「追悼:坂見誠二」ダンスの神様が伝えたかったこと】

>>#1 ISOPP編:ずっと坂見誠二が炸裂していた
>>#2 PEET & TAKA編:カッコいいままでいっちゃった
>>#3 緒方先生&SHUVAN編:繋いでいくことを大事にしていた
>>#4 SAM(TRF)編:アップ&ダウンを作った影響力は計り知れない
>>#5 KENZO(DA PUMP)編:誠二さんからもらった愛を紡いでいきたい



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